第一章
うなぎの歴史
第三章
仕上げ皿
第二章
うなぎ包丁
第四章
   


[江戸版画うなぎ図]
 第一章 うなぎの歴史


うなぎがいつから食されていたのかは定かではない。
しかし、平安時代の書物「万葉集」の中にこの様な句がある。

「夏やせに良しと言うものぞうなぎ取り召せ」。

これは大伴家持の一句であるが、うなぎは身体によい食材であることを示している。また、うなぎは数多くの句や絵の中にたびたび登場していることから、平安時代の頃から庶民の間で食されていたことが伺える。
今も昔もうなぎが身体によいことは変わらないのである。

第一章 うなぎの歴史
第二章 うなぎ包丁
第三章 仕上げ皿
第四章 器

[昭和うなぎ図]


[包丁]
水心子正秀作
[目打ち]
明治時代のもの
 第二章 うなぎ包丁


浜松のうなぎ料理は関東風が多い。

うなぎ料理における関東風・関西風の境は、浜名湖の関所だと言われている。関東風では「背開き」となっているが、その所以にはいろいろな説があり、その一つに関東は江戸の町、武士の町であったため腹開きは切腹につながると嫌がられていたのではないか、という説がある。この「背開き」を可能にする包丁が「関東包丁」である。あの独特な形を持ってこそ、栄養価の高い肝を傷つけることなく身の鮮度を保ち、素早く割くことができるのである。

第一章 うなぎの歴史
第二章 うなぎ包丁
第三章 仕上げ皿
第四章 器



[輪島塗]
明治時代
 第三章 仕上げ皿



串打ち三年・割き八年・焼き一生といわれるくらいに、「焼き」はかなりの経験が必要である。「素焼き」から「たれ付け」そして「本焼き」への過程、まさにここが職人芸の見せ所であり、蒲焼き造りにおける重要な流れの一つでもあるのだ。そしてその「焼き」によって仕上げられた蒲焼きの艶と照りを損なうこと無く、たれ切りを良くするよう考案されたのが仕上げ皿であり、これまた縁のある独特な形を持っている。

第一章 うなぎの歴史
第二章 うなぎ包丁
第三章 仕上げ皿
第四章 器

[伊万里大皿]
江戸時代


[伊万里丼]
明治時代
[輪島塗]
昭和初期
 第四章 器


「丼」と「重」、食し方もいろいろあるが古くは「丼」が主流で陶磁製の重い器が使われていた。昭和も中頃になると軽量の塗り物(木製)の「重」と呼ばれる器が多く使われるようになり、その歴史が現在に"うな丼""うな重"という形で共存しているのである。
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第二章 うなぎ包丁
第三章 仕上げ皿
第四章 器

[重]
昭和初期